ヤバい昭和の世界。飛行機内の喫煙OKや、交通ルール、今の学校から消えたもの、恋愛・結婚など。
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雑学…歴史・地理006。
ヤバい昭和の世界

●喫煙。
昭和41年(1966年)の男性の喫煙率は、83.7%。
新宿駅では、吸い殻の投げ捨てが、1日14万本。鉄道会社が掃除していた。
昭和41年(1966年)。飛行機。上空からの景色を楽しむ乗客。
アナウンス。「皆様、ただいま禁煙並びにベルト着用のサインが消えました。これよりお先のおタバコは、ご自由でございます」。
飛行機の中は喫煙オーケーだった。シートには灰皿が付いていた。
昭和63年(1988年)。
国会会議中にタバコを吸う政治家たち。椅子の横には大きな灰皿があった。
病院でも、いたるところに灰皿が置かれていた。
お医者さんが、タバコを吸いながら診察するのも珍しくなかった。
サラリーマンは、くわえタバコで仕事をしていたりなど。
昭和60年(1985年)。アナウンサーの取材風景。タバコを片手に取材していた。
令和時代の男性の喫煙率は27.1%。分煙が確立され、喫煙所でタバコを吸う。
昭和とは、大正15年/昭和元年は、1926年。昭和64年/平成元年は、1989年。
2022年8月13日”ダウンタウンのヤバい昭和の世界”より。
画像”かわいいフリー素材集いらすとや”より。
●ヘルメット。
昭和57年(1982年)。原付50 CC以下にヘルメットは必要なかった。
昭和61年(1986年)に、ヘルメット着用が義務化された。被り忘れる人が続出した。
●シートベルト。
昭和60年まで、昭和のドライバーは、シートベルトをしないで運転していた。自動車教習所でもしていない。昭和44年から義務づけられていた。ただしそれを罰する方法がなかった。
昭和60年に道路交通法が改正され、シートベルトをしないと違反になるようになった。
シートベルトの着用を促すような人形などが、道路端に設置されていたりした。
2022年8月13日”ダウンタウンのヤバい昭和の世界”より。
●昭和のドラマ。
昭和61年(1986年)放送の「危ない刑事」。
犯人を追跡する刑事が、一般人からバイクを拝借。ヘルメットなしで運転。
ときには、車で逃げる犯人を追いかけるため、暴走族のバイクを強奪。持ち主が追いかけてくると全員叩きのめした。
昭和55年(1980年)放送の刑事ドラマなどでは、刑事が白い粉をなめて、「間違いない、シャブだよ」と言う。覚せい剤や麻薬を舐めて判断していた。他の放映でも、怪しげな白い粉を見つけたら、とにかく舐めていた。
今回、ファミリークリニックひきふねの梅船(うめふね)院長に聞いてみた。
医学的に覚せい剤を舐めるとどうなるのか?と。
先生の解答は、「なめると非常に強い味覚障害や、痺れるような痛みを伴います。実際の麻薬取締官や警察は、怪しげな白い粉を舐めたりする事は無い」と。
●昭和のテレビ。考えられない演出。
昭和50年放送開始の「目方でドン」。
奥様の体重を日本中に公開。スタジオの家電や生活用品を奥様の体重分集める。誤差が3キログラム以内だと商品を獲得できる。
最後は商品と奥様を天秤に乗せてジャッジ。失敗すると商品没収。
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●昭和のパチンコ。
手のひら一杯分の玉を買い、1玉ずつ弾いていく。今の電動式とは違い、玉を打つ技術も必要。
昭和47年(1972年)。
パチンコ店が増加し、子連れも多く来店。パチンコを打つ子供もいた。当時も、18歳未満は入店禁止だったが、守られていなかった。
子供の連れ去りなどがあり、取り締まりが強化された。現在は、子供は入れない。
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昭和の学校。今の学校から消えたもの。
●「皆勤賞」。1日も休まず学校に行くともらえた。
現在、「休む事は悪いことではない」と教えて、皆勤賞がない学校が増えている。
●「連絡網」。
各家庭の電話番号が書いてあり、次の人へ電話して、連絡事項を伝達していく。
現在、個人情報の観点から廃止されている。
●「名札」。プライバシー問題もあり、学校の外ではつけない。犯罪に巻き込まれたりした。
●「家庭訪問」。共働き家庭が増え、時間が取れなくなったため、個人面談や玄関先で挨拶程度などに変化している。
●「プールの洗眼器」、水道水で目を洗うためのもの。
角膜に影響与えるとも言われているので、現在、おこなっていないところが多い。
また、ゴーグルの普及も理由の1つと言われている。
●「フォークダンス」。
昭和の青春のイベントとも。今でも実施している学校はごくわずか。鹿児島県では、多くの学校が今も行っている。
Z世代。現在は授業にダンスがあり、J-Popなどを踊っていたりする。
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昭和の学校。今の学校から消えたもの。
●上半身、裸での授業。
昭和51年(1976年)の小学校の様子。
「子供は風邪の子」とやたらと上半身裸にさせられた。男女ともに、寒さに耐えていた。体調を崩す子供が増えたため、そういう教育は徐々になくなっていった。
●昭和の男の子は、寒くても太もも丸出しの短パンをはかされた。野球帽を被っていた。
●学校に、焼却炉があった。学校のゴミを燃やしていた。
いじめで上履きを燃やされたりする子供もいた。
●ぎょう虫検査。罹患率が低下したので検査をしなくなった。
●「学校の卒業アルバム」。
クラスメイトの住所、生年月日、電話番号等が載っていた。昭和は、プライバシーの規制がなかった。
●昭和の交通安全教育。
車が増え、交通事故も増えた。
小学校の体育の授業で、交通事故対策が盛り込まれた授業があった学校も。
フラッシュドッチボール。前後からのボールをとっさにかわす。反射神経を養う。
また、車にはねられても、最小限、頭だけは守るための柔道の受け身の練習。
バスが転落したときの用心に、平衡感覚の訓練として大きな丸い籠の中に入れられ、転がされるなど。事故が起きることを前提で訓練していた。
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昭和の教育。
●全国の小・中学校で行われた学校行事。
林間学校や臨海学校。林間学校は、山間部の宿泊施設に泊まり、登山やハイキング、飯盒炊飯などを体験。飯盒で炊いたご飯とみんなで作ったカレーを食べるのが定番。夜には、キャンプファイヤーなど。
●学校の先生の指導の仕方。
いたずらしたのにヘラヘラしている生徒に対し、先生が黒板を殴り、「次は顔面にするぞ」と脅したりする先生がいた。その時の先生の手は血だらけだったりした。
生徒に向かっての平手打ちや、暴言を吐く先生がいた。
「この中のほとんどが不幸になるからな」と言った先生もいた。
ビンタされて鼓膜が破れた子供もいた。
●スパルタ教育。
昭和40年代。その当時は子供の数が多かったため、受験戦争が激化。
スパルタ教育と言うものが流行った。冬休みに約3000人が勉強合宿。竹刀で生徒を叩く。正座させて反省など。
良い学校に入り、良い会社に入るのがステータスと考えられていた。
●スパルタ教育の塾。
竹刀を持った先生。当時は気合を入れる愛の鞭。今は暴力となる。
全員に気合を入れ、勉学の意志を奮い立たせる。昭和は魂と魂がぶつかり合う時代とか言っていた。
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昭和の遊び
●牛乳瓶の蓋遊び。給食での牛乳は瓶入りだった。
ルールはそのメンバーで決める。1つの例。蓋に向かって「パン」と言う。蓋がひっくり返る。交互に行い、最後の蓋をひっくり返した人の勝ち。すべての蓋をもらえるなど。
●ヨーヨー。
昭和50年代。大人気のラッセルヨーヨー。ヨーヨーメーカーのラッセル社とコカコーラがタイアップ。
赤いジャケットを着た人たちが、世界90カ国以上で、いろんな技を繰り広げた
●自転車のスポークにカラーボールを挟んでいた。空き地に着いたらそのボールで遊んだ。
●癇癪玉や火薬を使ったおもちゃ。
銃やロケットなど。
ジャンプダウンという遊びは、ロケットの先に紙火薬を仕込んで、上に投げる。落下した衝撃で火花が出る。
紙火薬は、ポケットに入れたままでこけたりして、暴発したり、子供なので、人に向けたりして事故などにつながった。
●空き缶を靴で踏みつぶし、靴につけたままロボットのように歩く。カシャカシャと音がして流行った。
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昭和の中高生。
●髪型。厳しい校則。
ある学校では、男子は全員坊主。規則を破ると学校に置いてあるバリカンで髪の毛を刈られる。天然パーマの人は、天然パーマ届を提出。
ある美容室では、パーマをかけた髪の毛か、生まれつきのカールかを、顕微鏡で50倍に拡大して判定。天然パーマであると言う証明書が作成された。
●詰襟。
学生服の襟に汚れがつかないように、襟の内側に取り付けるプラスチックがあった。
暑いとべたつき、寒いと冷たい。男子生徒たちは不快に思っていた。またしょっちゅう割れた。
最近は、プラスチックカラーを使わない「ラウンドカラー」が主流。襟に白い布地を挟んだもの。首の当たりも良い。
●不良とよばれた少年少女たち。
当時の様子は、一部、気合の入った不良たちがいた。
「ビーバップハイスクール」という漫画やアニメが、流行った。
不良アイテム。
男子「長ラン」と呼ばれる丈の長い詰襟学生服に、太めの「ドカン」と呼ばれるズボン。スーツ姿の男子もいた。
薄いカバン。
持ち手に白いテープは「喧嘩買います」。赤いテープは、「喧嘩売ります」という意味があった。
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昭和のヒット商品。
●当時流行った不良のコスプレをしている猫。
昭和55年(1980年)。なめ猫。「全日本暴猫(ぼうねこ)連合なめんなよ」。
グッズやブロマイド。免許証型のブロマイドは1200万枚売れた。経済効果は約1000億円だったそう。
●「立体メガネ」。
昭和40年代(9651年)から。映画館から生まれたヒット商品。青と赤のレンズ。
例えば「飛び出す立体映画イナズマン」などを観る。
映像が3Dに見える。長時間メガネを使うと目が痛くなるので、2分でメガネを外すように言われたりする。また、話が進むと再度、立体メガネをかけるように言われる。
●「キャベツ畑人形」、6500円。
昭和59年(1984年)。上野松坂屋の開店前にできた長蛇の列は、「キャベツ畑人形」を買い求める人たち。人気の秘密は、コンピューターで設計されて、顔や髪型、ドレスが違っていて、名前もある。1つとして同じものがないと。
人気が凄すぎて、偽物の「キャベツ畑人形」も売っていた。偽物も堂々と売られていた時代。
●「カッパの河太郎(かわたろう)」。
水の上を泳ぐおもちゃ、2から6歳用。中学生で、このおもちゃで遊んでいる子もいた。
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昭和のヒット商品。CМがきっかけのヒット商品など。
●「シータップ」。学習グッズ。
昭和40年代、1965年から。寝ているだけで勉強ができる睡眠学習器というもの。
「SLヒプノスDX」、36,000円という値段で、超高かった。 50万台の大ヒット商品。
自分で英単語と日本語を録音する。テープレコーダーにかけ、寝るだけ。
●「スタイリー」。
昭和53年(1978年)。ダイエットブームで、ジムに通うお父さんが急増した。
テレビでは、エアロビクス番組が人気。
コマーシャルから生まれたダイエットのヒット商品の「スタイリー」。
組み立て式。アメリカで生まれたスタイリー。2万8000円。今の価値でいうと47,000円位。150万台売れた。腹筋を使って、上向き寝そべりとV字バランスを繰り返せるベッドみたいな椅子みたいな商品。
●おもちゃ「モーラー」。
昭和50年代、1975年から。2ヶ月で180万個売れた
コマーシャルでは、生きているように見え、魅力的な商品であったが、購入してみると究極のがっかりおもちゃだった。しかし、昔を懐かしむ人に、今も売れている。
●「ママレンジ」、3500円
昭和44年(1969年)。ホットケーキが焼ける。
●「第一のカラー竹うま」。3400円。
昭和44年(1969年)。歩くと鈴が鳴り、そのリズムで楽しく運動ができると人気。
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●歩行者天国。通称「ホコ天」。
昭和45年(1970年)。銀座の買い物客を増やすために、始まった。
週末になると人でびっしり。竹馬に乗る子供や、ふんどし1丁で歩く男の人も。
ホコ天で流行ったのが、「アメリカンクラッカー」。
紐の両端にプラスチック製の玉がついていて、紐の中央を持ち、リズミカルにカチカチ鳴らす。子供だけでなく、おしゃれアイテムとして若者が注目。500万個を売る大ヒット商品。
幼児の頭にぶつかると危険だとして、小学校では禁止する動きもあった。
●昭和ならではの映えグッズ。
地味な黒電話を可愛くデコる「電話カバー」がブーム。
昭和の刑事ドラマの「大都会」でも、シブすぎる渡哲也さんの家の黒電話は、かわいい花柄。石原裕次郎さんの黒電話は、チェック柄など。
家庭では、ドアノブカバーが流行。
ドアノブが滑って開けにくいが、流行った。また、黒電話の通話口につける消臭カバーなども。
●昭和の車の内装。
レース生地のシートカバーが流行っていた。
ドライバーの座席に木製ビーズの背もたれ&お尻部分のシートなど
謎のつり革の付いた車は、暴走族などの箱乗りのときの落下防止用。
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●「スーパーカー」。
昭和52年(1977年)。ランボルギーニ・カウンタック。ランボルギーニ・イオタなどのスーパーカー・ショウが、全国で開かれた。
いろいろなグッズが誕生した。例えば、コーラビンの蓋の裏に、スーパーカーが印刷されていたり、スーパーカー消しゴムなど。
スーパーカー消しゴムを飛ばして遊ぶために、ボールペンのBOXYのノックが戻るのを利用していたりした。
スーパーカー自転車。
レバー付き変速ギア、後ろにウィンカーやリトラクタブルライトなど。
ブリヂストン自転車モンテカルロ。ポルシェタイプ。5万3800円など、各メーカーがこぞって販売していた。高かったので、買ってもらえる子供は少なかった。
●肝油ドロップ。
昭和30から40年代に、成長期の子供に必要なビタミン補給のために、全国で配られた。
サメなどの肝臓から抽出した油で作られたので、肝油ドロップとネーミングされた。
お菓子のような甘さでおいしい。ビタミンの過剰摂取にならないように、1日1粒。親が厳しく管理していた。
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昭和の恋愛。
●昭和の学生の告白は、ラブレター。
返事が来るまでの2から 3日、ずっとドキドキしていた。
教室の机に、ラブレターが入っていたりして、放課後の体育館裏に呼ばれるのが、定番の告白スポット。
恋のおまじない。
消しゴムに好きな人の名前を書き、ケースにしまう。誰にもバレずに使い切ると恋が実ると言われていた。
●出会い。
昭和の男たちの女性との出会いは「ナンパ(軟派)」。
有名なナンパスポット。千葉県の幕張、美浜(みはま)大橋。通称「ナンパ橋」。
橋の上で路上駐車している女の子の車に、男の子の車が順番に横付け、声をかける。
ナンパが成功すると車2台で連れ立って行く。
「ペンフレンド」。
文通。手紙のやりとりのこと。恋人を作る方法として人気だった。
雑誌にペンフレンド募集のページがあった。写真、名前、住所等が載っていて、相手に直接手紙を出せる。個人情報がダダ漏れしていた。
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昭和の連絡手段やデート。
●電話。カップルになると、家の電話に日時を合わせて電話をかける。
彼女の父が出たりする。電話中に「電話代がもったいないから、早く切れ」と親に言われる。
昭和40年代の電話代は、東京と大阪間で、1分105円。1時間話し込むと6300円請求された。
現在は、スマホアプリで無料通話できる。
●「ポケベル」。
ポケットベルが昭和60年代に登場した。外出している社員の呼び出し用として開発された。
昭和62年(1987年)。数字表示機能が追加され、カップルの連絡方法として、革命的なアイテムとなり大ヒット。
ポケベルの使い方。
端末の番号に電話をかけ、メッセージとなる数字を入力する。電話代節約になった。
数字の暗号。
468は、渋谷。85は、 待ち合わせ場所のハチ公。10は、今。194は、行くよ。
49は、至急。6906は、遅れる。999は、サンキューなど。
1993年、ドラマ「ポケベルが鳴らなくて」などがヒット。
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昭和の連絡手段やデート。
●待ち合わせ。
「11時に駅前で」。西口と東口でお互いに待っていたりして、お互いに相手が来ないと思ってすれ違い、出会えないこともあった。当時は、スマホやLINEがなかった。家の黒電話に連絡してもお互いに家にいない。
駅の伝言板が使われた。
「東口の喫茶店で待っている、たつおみ」などと書き込む。
昭和35年(1960年)。伝言板を見て実際に出会えた人もいるけれども、会えずに怒った内容が記入されている場合もあった。
令和の時代は、「スマホ」があるので、待ち合わせは簡単。位置情報アプリで場所も確認できる。
●昭和のデート。
ペアルックや、2つ合わせるとハートになるペンダントなどが流行った。
夏のデートスポットは、プール。
昭和40から50年代のデートスポットは公園。当時は令和のカップルよりも大胆にいちゃついていた。
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昭和の恋愛、結婚。
●昭和60年代。バブル景気の時代。
デートは、ディスコのような派手で楽しい場所が人気。
昭和62年(1987年)。新幹線のこだまの一部を改装したディスコ列車も登場。
●昭和62年(1987年)。映画「私をスキーに連れてって」がヒット。
スキー場にカップルが大量に押し寄せた。週末は、スキー場に向かう車で大渋滞。
●松任谷由美さんの「恋人がサンタクロース」がヒットし、クリスマスは恋人と過ごす日という文化を根付かせた。それまで、クリスマスは家族と過ごすものだった。
クリスマスは恋人との特別な日。男性から女性へのクリスマスプレゼントは、ティファニーのオープンハートが大人気だった。
令和4年の調査結果。
20代独身男性。これまでにデートした人数が0人の人が4割。
30代独身男女の4人に1人が、結婚の意思がない。
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昭和の恋愛、結婚。
●お見合い結婚。世話好きのおばさんがいた。昭和60年代ごろまで続く。
昭和45年(1970年)。テレビでお見合いのマナー講座があった。
マナーや礼儀。縁談を知人などにお願いする時は、お見合い写真、履歴書、身上書を渡す。
お見合い写真は、自分の個性に合った服装で、1枚。スナップ写真を1から2枚を添えると良い。動画でアピールする「ビデオお見合い」も誕生した。
2021年の男女が出会った最も多かった場所は。
第1位、マッチングアプリ。
第2位、ノンアル合コン。
第3位、Twitter婚活。
●嫁入り道具。
女性が結婚の時に準備する家財道具のこと。
昭和63年(1988年)。昭和の代表的な嫁入り道具。家具、着物、布団。
家具では、特に桐のタンス。湿気や虫から着物を守り、木の表面を削れば、新品同様になるため。
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昭和の恋愛、結婚。
●ウェディングケーキ。
令和で人気のケーキは、カラードリップケーキ。2人でケーキにソースをかける。SNS映えする写真が撮れる。
昭和のスターのウェディングケーキ。当時は、ケーキの大きさや高さを競っていた。
昭和62年(1987年)。渡辺徹さんと榊原郁恵さんの結婚式。
ケーキのデザインは石坂浩二さんで、スペースシャトルケーキ。スペースシャトルの中からりんごのモニュメントが出てくる仕掛け付き。
競輪の中野浩一さんの結婚式では、推定4メートルの高さのケーキだった。
芸能人ウエディングケーキの高さのナンバーワンは、五木ひろしさんの11メートル。
芸能人は、派手な結婚式。一般の人までゴンドラで登場するなど豪華な結婚式があった。
●新婚旅行。
昭和の新婚旅行は、日本の宮崎が人気だった。
昭和30年代後半から50年代初めまで。昭和49年(1974年)がピーク。
昭和35年(1960年)。昭和天皇の第五皇女の島津貴子さんが、宮崎を新婚旅行の地に選ばれた事から大ブームとなった。
結婚したカップルの約35%の新婚旅行が宮崎だった。
新婚旅行の見送りで、駅のホームは、人でいっぱい。
ホームで乾杯したり、応援団がいたり、吹奏楽の演奏があったりなどは、昭和の当たり前の風景。
令和時代の新婚旅行の人気ランキング。
第1位、イタリア。第2位、ハワイ。第3位、スペイン。
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昭和の生活。
●洗濯機。
ハンドルがついた装置がある。「脱水用ローラー」と言う。
洗濯物の脱水のほかに、お札のシワを伸ばしたり、歯磨き粉のチューブ絞りに使っている人もいた。
●体温計。
水銀の体温計。熱で水銀の体積が膨らむ性質を利用したもの。計測には3分以上かかる。
温度をリセットするためには、振る。何かにぶつけて割れる時があった。水銀の有毒性が問題となり、現在は製造禁止となっている。
今の体温計は、測定時間15秒。
●赤チン。
マーキュロクロム液。どんな怪我も赤チンを塗れば大丈夫と言われていた。赤い色が衣服に色移りした。透明なマキロンが発売され、需要がなくなった。
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昭和の生活習慣。
●入浴。昭和45年(1970年)のTV「暮らしの豆事典」で放送。
入浴の効果。
疲労が取れる。温度は普通38度から42度が良い。
ハンドシャワーの使い方。壁にも固定でき、使い道が多い。シャワーは、水とお湯を混ぜて使います。水圧の変動で、お湯の温度が不安定になりがちです。
昭和40年代前半。お風呂が自宅にある人は、6割。
●洗髪。
毎日頭を洗うと禿げると言われていた。毎日髪の毛を洗う習慣がなかった。
昭和37年のシャンプーの広告。「5日に1度は髪を洗いましょう」と推奨していた。
昭和60年代。朝シャンのCMがきっかけで、朝に髪の毛を洗うのがブームとなった。
昭和に大ヒットした「シャンプーハット」。
子供のシャンプーの時、目にシャンプーが入り、子供が嫌がった。「シャンプーハット」を頭につけて洗うとシャンプー液が目に入らない。
現代のシャンプーは、弱酸性。昭和のシャンプーは、洗浄力重視で、アルカリ性。目に入ると痛かった。シャンプーハットは、1ヵ月、100万個売り上げた。
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昭和の生活。
●「ネズミ取り機」と「ハエ取り紙」。
昭和の時代は、8割以上の建物が木造だった。家の中にネズミが侵入するのは日常茶飯事。
昭和44年(1969年)。TV「日曜大工110番」で放送。
「ネズミ取り機」は、餌につられたネズミが入ると、入り口が閉じる。ネズミが入ったら、ネズミ取り機を水を貯めたバケツに、3分ほどつける。引き上げて、害獣を捨てる。
昭和のもう一つの必需品として、「ハエ取り紙」。
家の中を飛び回るハエを天井から吊り下げた粘着剤で捕まえるもの。
油断すると、髪の毛に張り付く。
今もネットで販売されている。「リボンハイトリ」と言う商品名。
●昭和の霊柩車は金色で豪華でド派手。
斎場から火葬場に遺体を運ぶ。内部にも金箔が貼られ、絢爛豪華。
昭和の子供たちは、霊柩車を見ると親指を隠す。親指を隠さないと自分の親が死ぬと言う迷信を信じていた。
斎場の近隣住民より、霊柩車を見たくないと批判を浴び、現在は目立たない、黒塗りの霊柩車が主流。
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昭和の生活。
●風邪対策。「卵酒」。卵と砂糖を混ぜたものに、一煮立ちさせた日本酒を入れたもの。当時は、熱が出た子供にも飲ませていた。
●「電話帳」。五十音順に記入できる。
高級なものは、例えば、田中さんなら、レバーをた行に合わせてレバーを押すと、た行のページが開き、一瞬で目的の人の電話番号がわかるなど。
令和時代は、デジタル電話帳。
●蜂に刺された。
おしっこをかければ治ると言われていた。
専門家によると、おしっこには効果は無い。尿は雑菌だらけで傷口に菌が侵入して感染を増長させるリスクがあると。
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昭和のアイドル。
どこに行ってもファンに追いかけられる。
●柏原芳恵さん。昭和58年(1983年)。
当時ファンクラブがほとんどなく、アイドルを応援するため、ファンが自主的に結成したものが親衛隊。「よしえちゃんコール」が有名。
親衛隊のコールの練習は超厳しい。声出しやみんなと合わせたりなど。テレビ局にも駆けつけ、収録が終わると出待ちし、「お疲れ様」とお見送りしたりなど。
●野口五郎さん。雑誌で自宅の住所を公開していた。ファンレターの送り先として使われていたりする。
●アイドルの出身校と成績表の中身が、良い成績も、悪い成績も全国に、公開されていた。
●ゴミ袋が勝手にあさられ、中身を公開されることもあった。
●「昭和のタレント名鑑」。本名、住所、電話番号、生年月日などが書かれていた。
●「プロ野球選手名鑑」。生年月日、住所等。
昭和52年(1977年)。王貞治選手は世界新記録のホームラン756号を打った。次の日、自宅に約1000人のファンが押し掛けた。
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昭和の食べ物。
●冷凍食品。
昭和45年(1970年)放送の「暮らしの豆辞典」より。
昭和40年代。家庭用冷凍食品は、100種類を超え、冷凍機能のついた冷蔵庫の普及率が50%を超えた。
食品の保存方法や買い方をテレビで紹介していた。
冷凍食品は、買い物の一番最後に買いましょう。
袋の内側に白く霜がついたものは、いちど溶けかかった証拠ですので買わないように。
指で押し、カチカチに凍っているものを選ぶ。溶けかかったものは、鮮度が落ちています。
当時の食品には、賞味期限が一切表示されていなかった。
●「牛乳」。製造年月日のみ表記されていたので、消費者は、開封して冷蔵庫に入れていた牛乳を飲むか飲まないかで悩む。
最終的に母親が、臭いを嗅いで食べられるかを確かめていた時代。
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昭和の食べ物。
●イチゴ。
「イチゴスプーン」。イチゴを食べるときに使う。当時のイチゴは、小粒で酸っぱい。イチゴをスプーンでつぶし、砂糖をかけ、牛乳を入れ混ぜて食べた。最後に、甘いイチゴミルクを飲む。イチゴスプーンは、年間30万本生産された。
品種改良でイチゴの糖度が倍増し、そのまま食べれるようになった。
●「3色ふりかけ」。
昭和40年代に誕生した。のりたま、たらこ、ごましおの3種類が、3分割された容器に入っていた。1億本以上売り上げた。ごま塩だけが残るので、今は見かけない。
●「バタークリームケーキ」。
生クリームが高価であったため、マーガリンやショートニングでクリームを作った。大量に油を使用していたので、胸焼けする人も多かった。
2022年8月13日”ダウンタウンのヤバい昭和の世界”より。
昭和のバズった人。
●高橋名人。
昭和60年(1985年)。任天堂が開発した家庭用ゲーム機のファミリーコンピュータ、通称ファミコンが発売された。当時14,800円。
ゲームの達人は、子供たちの憧れの人。特殊なコントローラーを使い、1秒間に16回ボタンを押す。
昭和61年(1986年)。「高橋名人の冒険島」と言うファミコンソフトは、100万本越えの売り上げ。
●塩沢ときさん。
昭和61年(1986年)。高さ30センチメートルの高さの髪型で有名な女優さん。
ファッションも個性的で、大人気だった。
●ユリ・ゲラーさん。昭和49年(1974年)。20世紀世界最高の超能力者と言われた。
スプーン曲げ。4分間念力を送り続けると、手を触れずスプーンが折れた。
現在では、マジシャンの定番ネタ。
あるテレビ番組では、カナダから念力を送りますと言うものがあり、視聴者はみんな、スプーンやフォークを持ちテレビを見ていた。視聴者から電話が殺到。3年前の時計が動いたや熱が出ていた子供が治った等の電話があった。古い時計は、温めたら動きやすい。
あれから47年。自称超能力者ユリ・ゲラーさんは、コロナのワクチン接種をしながらスプーン曲げをした。
2022年8月13日”ダウンタウンのヤバい昭和の世界”より。
昭和のバズった人。
●チンパンジーのオリバー君。
昭和51年(1976年)。専用チャーター機で来日。
染色体の数は、人間は46本。チンパンジーは48本で、オリバーくんは47本だそうで、未知の生物として話題となった。
食事は、スプーンを器用に使いこなし、タバコやビールを嗜(たしな)む。ホテルに宿泊し、サインにも応じていた。染色体47本と言うのは嘘だったらしい。
●鈴木その子さん。
美白の女王と呼ばれ、白塗りメイクをしてテレビに登場していた。美白を際立たせる専用の照明の「その子ライト」も話題になった。
食品や化粧品会社の経営をしていて、年商100億円。自宅は、大豪邸。また、料理研究家として出版したダイエット本もミリオンセラーとなった。
●きんさん、ぎんさん。
名古屋在住の百歳の双子。ダスキンのCМやテレビや雑誌で大人気。グッズも色々と売れた。
当時、百歳生きることは、すごいことだった。
●宜保(ぎぼ)愛子さん。
昭和62年(1987年)。人に取憑いた霊が見えると言われた霊能者。
テレビや雑誌、50冊以上の本も出版。テレビ番組のレポーターとして、1992年、エジプトのピラミッドの謎に迫る企画もあった。ミイラと対話した。「エジプトの言葉がわかるのですか」と聞かれ、「魂の言葉、テレパシーで」と答えていた。
●国会議員の浜田幸一さん。通称(ハマコー)。
昭和54年(1979年)。政界の暴れん坊と言われた。
2022年8月13日”ダウンタウンのヤバい昭和の世界”より。

●昭和の流行語。
「ナウい」。流行りに乗っている。
「イタ飯」。イタリア料理のこと。
「ツーカー」。お互いに気心が知れた間柄。
「アベック」。「ドロンします」。「お邪魔虫」など。
今の世代には、通じない言葉。
2022年8月13日”ダウンタウンのヤバい昭和の世界”より。
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